「価値観小説」とでもいえばわかりやすいだろうか。山崎ナオコーラの小説は、登場人物によって示される「価値観」の対立や齟齬こそが主題である。無論、どのような小説においても、登場人物にはそれぞれの個性や特徴があって、見解の相違から例えば殺人事件が発生する物語もたくさんあるのだから、価値観の対立や齟齬は小説世界において珍しくない。しかし、そのこと自体が小説を読む愉しみとして設定されている点でまさに「価値観小説」とでも呼びたくなるのが、この作家の作風である。
本書では「働かない」という生き方の選択が、投入されている。「働かざるもの、食うべからず」「労働は尊い」といった通念との対立が冒頭から始まる。いくつもの補助線が入る。「働きたくても働けない人」がいる。家事は仕事だが「稼いでいる」とはいえない。「役に立つ」とはどういうことか。
働かない主人公は、次々と趣味をみつける。絵手紙、家庭菜園、俳句、小説、散歩。ここで「趣味」は「仕事」と対立する。「趣味って、必死でやることじゃないのに」「才能や努力が必要なことだったら、仕事にしかできないじゃんか。門が大きく開いているからこそ、趣味ってものの価値があるんだよ」と、主人公は「趣味」の名の下に競争原理を拒絶する。
「趣味」の原理においては、純粋にその趣味を楽しむことが目的なのであって、趣味を何か別の目的を実現させるための手段に堕とすことは邪道だ。お金のため、生活のため、生きるため。そういう目的を設定しないで趣味を楽しむことこそ王道ということになる。「趣味」の世界では、「自己満足」が正しい。
本作の新聞連載が始まったのは2017年だから、直接の関連性がないことは明らかだが、いやでも昨年の「生産性」論争を思い出すことになる。雑誌『新潮45』に掲載された杉田水脈衆議院議員の主張は、同性愛者差別というだけでなく、ひとりひとりのライフスタイルの選択が、国家・社会の「生産性」に貢献しているか否かによって評価されることの(そして、国会議員がそのような観点から政策を語ることの)問題点を浮き彫りにした。
世間で「あたりまえ」とされていること、あるいは「しかたない」とされていることに違和感を覚えても、日頃からそうそう論争を挑むのは難しい。多様性の尊重が掲げられる時代であっても、現実社会では多くの「価値観」が「沈黙」を強いられている。山崎ナオコーラは、文学の力を使ってそれを「言語化」し続けている作家のひとりである。実に、頼もしい。
趣味で腹いっぱい
山崎ナオコーラ 著
河出書房新社
本体1,550円
野上由人